競馬の伝説のレース集

競馬レースのまとめを解説していきます。年代別、騎手別、レース別にまとめてある動画を解説付きで詳細に説明しています

日本競馬三大悲劇レース


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日本競馬三大悲劇レース

 

三大悲劇レース

 

テンポイント
第25回日本経済新春杯

語り継がれるテンポイントの悲劇が起きました。

テンポイントは小雪の舞うこの長距離ハンデキャップ重賞でテン
ポイントは他馬よりも重い66.5kgといった斥量を背負わされました。

しかし、下馬評ではそれでも軽く勝つだろうと楽観視されていました。

日経新春杯のレースではテンポイントはレースの序盤は勢い良く先頭を
切りエリモジョージ(池添兼雄騎乗)やビクトリヤシチー(福永洋一騎乗)
に絡まれつつ先頭を走っていました。

しかし、第4コーナーを差し掛かった所で不意にがくんとスピードが落ち
左後肢を故障して競走を中止しました。

診断の結果は、第三中足骨開放骨折及び第一趾骨複骨折という、
到底手の施しようの無い重傷でした。

 

ライスシャワー
1995年宝塚記念

1993年の天皇賞(春)を最後に優勝から遠ざかっていた同馬だが、1995年の天皇賞(春)で掟破りの早仕掛けで先頭に立ち、そのまま押し切って優勝、見事な復活を見せつけた。ステイヤーとして名をはせた同馬であったが、宝塚記念のファン投票で1位を獲得したこと、そして引退後の種牡馬評価を高めるために中距離での実績が必要との判断から、陣営は宝塚記念への出走を決断した。

しかし当時問題となっていた高速馬場の影響もあってか、ライスシャワーは第3コーナーで左第一指関節開放脱臼と粉砕骨折を発症、その場で予後不良の診断となり安楽死処分となってしまった。その後、京都競馬場にはライスシャワーの遺髪が収められた記念碑が建立され、美浦トレーニングセンターでも記念碑があるなど今もライスシャワーを訪れるファンは絶えない。

 

サイレンススズカ
1998年天皇賞秋

1998年11月1日(日)東京競馬場で第118回天皇賞(秋)(G1)が開催された。

逃げ馬にとっては絶好の1枠1番。
これで負けるとは思えなかった。

最内からスタートを切ったら後は逃げるだけ。
1000mを57.4のハイペースではあるが、もはやこの馬にハイペースなど存在しなかった。
これがサイレンススズカペースなのだから。
先頭からシンガリまではもはやとんでもない差になっていた。

一体どんなタイムでゴールをするのだろう。
見ている方はもはやそれしか関心が無かった。

軽快に気分良く走っていたサイレンススズカが大欅を過ぎた後だった…

バランスを崩し武豊が手綱を引いた。
一目で故障発生と分かるアクションだった。
そのまま外に行ったサイレンススズカだが、鞍上の武豊を馬上から落とすことはしなかった。
武豊は下馬をし馬に付き添っていた。
必死に立っているがもがいているサイレンススズカ。

『左前脚の手根骨粉砕骨折』

これがサイレンススズカに下った症状だった。

結果は安楽死。
生きる事は許されなかった。

速さの代償と言うには余りにも残酷すぎる結末であった。

 

史上最強と思うレース
やっぱり1998年の毎日王冠一択です

エルコンドルパサーとグラスワンダーに全く影を踏ませること無く、サイレンススズカがらくらくと逃げ切ってしまったレースですかね??

その後のエルコンの凱旋門やグラスの成績を考えると、サイレンススズカこそが史上最強なのかなと思ってしまいます、子供達の活躍がみたかったですね。

それとディープインパクトの春の天皇賞、残り1000メートルの超ロングスパートでレコードタイムは、常識ハズレの”京都の坂”の使い方でした。

それとトップガンの春の天皇賞も印象に残っています。ローレルとマーベラスの叩き合いの外を、見た事の無い足で駆け抜けて行く姿は衝撃的でした、トウショウボーイとテンポイントのマッチレースとなった1977年の有馬記念も見応えありました。

 

 

 

 

 

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