競馬の伝説のレース集

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武豊騎手がどん底の時期に勇気と希望を与えてくれた馬たち

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武豊が「干された」、あの権力者との確執

 

時として、馬主と意見の合わない騎手や調教師は「干される」ことがある。

かつては、あの武豊騎手でさえも、アドマイヤでお馴染みの関西の大物馬主と騎乗内容から確執が生まれ、アドマイヤムーンが岩田康誠騎手に乗り替わり、さらに社台グループの有力馬に乗る機会が激減した。

それまで年間140勝以上は当たり前だったが、半分に満たない年間56勝まで成績が落ち、騎手の収入の柱である身上金は全盛期の3分の1以下にまで落ちたことがある。

一見、越権行為にも見えるがJRA(日本中央競馬会)は馬主の立場を配慮して、直接関与することはない。

騎手が円熟味を迎えるのは30代後半で40歳過ぎれば「肩叩き=(調教師転身)」が始まる。

武豊は37歳の2006年にディープインパクト凱旋門賞挑戦、終始大外で3着(失格)で役目は終わった。

 

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40歳の2009年に大井から移籍してきた内田騎手に全国リーディングの座を奪われ。
41歳の2010年ザタイキの落馬大きな負傷、強引に復帰し「ヴィクトワールピサのフランス遠征で騎乗」


42歳の2011年ジャパンカップでのブエナビスタ1着でスミヨン騎手批判で降着にさせた件。

2011年JCの一件が大きく取り上げられていますが、私はそれ以前ディープインパクト引退後2008年あたりから、ここでは書ききれないほど多くの伏線が多々あった「合わせ技」だったと思っています、ただ武豊本人の騎手でいたいという意志が強く、今日になっていると思います。

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