競馬の伝説のレース集

競馬レースのまとめを解説していきます。年代別、騎手別、レース別にまとめてある動画を解説付きで詳細に説明しています

武豊騎手 鳥肌騎乗のG1勝ち TOP10 1位から5位

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1位 ディープインパクト

「走っていると言うより飛んでいる感じ」

2005年4月17日に中山競馬場で行われた3歳クラシック第一弾GⅠ皐月賞で単勝1.3倍という圧倒的1番人気で後の史上2頭目の無敗の3冠馬になるディープインパクトに騎乗し見事に勝利した時に出たコメントです。

 

ディープインパクトのレース後のコメントでよく使われていた「飛んでいる」はこの時にはじめて使われたフレーズでした。

 

2位 サイレンススズカ

1998年の天皇賞・秋でも武豊騎手は単勝1番人気で参戦していました。

 パートナーの名はサイレンススズカ。

 昔からの競馬ファンなら誰でも知っている伝説になった名馬であるサイレンススズカはこの年、小細工なしの大逃げで連勝街道をひた走っていました。

 

ただし、大逃げはサイレンススズカ自身に負担を与え、その脚は天皇賞・秋のレース中に遂に限界に達し骨折・競争中止、その生涯をも終えることになったのでした。

 

3位 メジロマックイーン

武豊 「今はメジロマックイーンみたいな本当に強い馬って、いないんですよね」

大目標としたのは天皇賞・春の3連覇でした。

前哨戦は過去2年の阪神大賞典ではなく大阪杯を選びましたが、11ヶ月ぶりのレースを感じさせない走りで5馬身差の楽勝。天皇賞に向けていいスタートを切りました。

そして天皇賞・春は圧倒的な1番人気で出走しましたが、前年の菊花賞馬であるライスシャワーが立ちはだかりましたね。

前年の菊花賞でミホノブルボンの三冠を阻止したライスシャワーはこのメジロマックイーンの天皇賞・春三連覇も完璧なレース運びで阻みました。

しかし敗れた武豊騎手は本当に悔しそうな表情をしていたのが印象的です。

 

4位 スーパークリーク

クリークはギリギリまで出走できるかどうかが微妙で、僕さえ、その気になれば騎乗できる馬もいましたが、それでも、菊花賞は彼で。という思いは微塵も揺らぎませんでした。もっとも本当に勝てるとは思わず、勝った瞬間も、「あれっ、勝っちゃった……」という感じでしたが。

だから、表彰式も、なんかフワフワとしたような不思議な感じでした。前年まで23年連続重賞を勝っていた名伯楽、伊藤先生が泣いているのを見て、びっくりしたのを覚えています。

――出走できたことが最大の勝因です。 勝利インタビューで答えた、あの言葉に嘘はありません。でも、もっと言うと、彼に乗れたことが大きな勝因であり、スーパークリークとの出逢いがあったから、今の武豊がある――これが、すべてのきっかけでした。

 

5位 スペシャルウィーク

1998年日本ダービー制覇などGIを4勝し、種牡馬引退後は、北海道沙流郡日高町の日高大洋牧場に繋養されていたスペシャルウィーク(牡23歳)が、27日午後4時40分頃死亡した。

 スペシャルウィークとのコンビで自身初のダービー優勝を成し遂げた武豊騎手は「突然のことで驚いています。自分にとっては、自分をダービージョッキーにしてくれた馬なので、とても特別な一頭です。素晴らしい馬でした。たくさんの思い出があり、一生忘れられない馬です」とコメントした。

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